布団に出会う≪十月四日≫ ―燦―いつだったか、このエルズラムと言う、トルコの街の名前を日本で知るきっかけとなった、新聞記事を見たことがある。 それには、次のように書かれていたように思う。 <記事> ―エルズラムの近くのリジェ近辺で 1975年夏に大地震があり、 6000人が死んだ。 関東大震災に比べれば、 震度自体はたいしたこと無かったが、 何しろ、石と泥だけで固めただけの家が、 ほとんどなので、ちょっと揺れただけで 屋根が落ちてしまい、 街は、全滅した。― こんな、記事だったように思う。 * これだけが、エルズラムの街についての、知識でしかなかったが、それでも少し親しみをもって、エルズラムの街に入ることが出来たように思う。 バスは、街中に入り、右に左にと・・・・奥深く入っていく。 街の灯が子供達をとらえている。 バスが静かに停車した。 どうやら、目の前にある建物が、バス会社のオフィスのようだ。 これから先へ行く旅行者達も、全員ここで下ろされるらしく、全ての荷物を下ろし始めた。 バスを降りると、外はかなり冷え込んでいる。 高地のせいだろうか。 我慢をしていたトイレ・・・・・・・はと、周りを窺うが、それらしい建物は見当たりそうもない。 周りを見渡すと、二三人の毛唐も我慢できなかったらしく、近くの板塀を前にして用を足し始めたではないか。 それではと、我輩も、暗闇で気持ちよく用を足していると、灯りを手にした少年が、俺に近づいてくる。 俺はてっきり、一緒に用を足すものとばかり思い込んでいると、灯りを俺の方に向けて、俺の何に手を伸ばしてくるではないか。 俺 「このヤロー!」 用を足しながら、足蹴りにして、何とか難を逃れる事が出来た。 トルコには、ホモが多いと聞いてはいたが、早速お出迎えに来てくれたかと感謝したくなる。 (それにしても、気味が悪い。) * <バスオフィスとガレージ> ―トルコは、イランと違って、 オフィスは街の中に点在していて、 バス・ガレージは郊外に集められている。 バス(長距離だが)に乗る時は、 郊外まで行かなくてはならないので ちょっと不便なようだが、 バス会社が何社も集まっているので サービスが良く、親切で、 乗りたいバスを探し出すのも 苦労が無いだけ、 結構良いシステムのような気がする。 オフィスとガレージの分離が出来ているのが、 トルコのバス事情のようだ。― * 置いてあった荷物の所まで戻ると、早速客引きのおっさんに声を掛けられる。 この街にとっては、メイン通りなのだろうが、寂しい道が闇の中に浮かんで見える。 通りには結構、”HOTEL”と書かれた看板が、至る所に掲げられている。 早速、客引きのおっさんと交渉に入る。 俺 「一泊・・・いくら?」 指を一本立てて見せる。 客引き「20TL(≒450円)。」 俺 「NO!高い!」 客引き「NO!高くない。いくらなら良いんだ!」 俺 「15TL(≒338円)だ。」 客引き「OK!15TLで良いだろう。こっちへ来な!」 片手をあげ、指を動かして見せて、自分からさっさと歩き始めるではないか。 ホテルらしき建物は、バス停の斜め向かいにあった。 それは、奇妙な建物で、一階が半地下になっている。 階段を下り、ドアを開けると、粗末な受付があり、客引きのおっさんは、客引き兼ホテルのマスター兼受付兼メイドのようだ。 戦争の時、空襲に備える防空壕のような通路を案内され部屋へ通される。 部屋には大きなベッドが、三つ置いてあるだけの汚い、15TLに相応しい部屋だった。 窓は小さいものが一つ。 それも、半地下のため、かなり高い所に配置されている。 それでも、外から見ると、窓は低い所にあるらしく、道路を歩いている人の足が見えている。 これは、なかなか・・・眺めがいい。 汚い部屋のことなど忘れて、一度に気に入ってしまった。 う~~~~~ん、これが東京の街だったら・・・・良いのに! 部屋に荷物を置いて、食事でもと・・・・・・部屋のドアを見ると、ドアの鍵がない。 受付付近で、親父を探し出す。 俺 「ルームキーをくれないか!!」 親父は、廊下に一つだけ置かれた、小汚い机の引き出しを開け始めた。 引き出しには、鍵らしいものが沢山入っているのか、ガチャガチャとかき混ぜるだけのジェスチャーをするだけ。 部屋の鍵を見つけようとする気配が見えない。 (こいつは、最初から部屋に鍵など無いのだ。何十年も前に壊れていて、取り替える気持ちが無いのさ。) そのうち、変な顔をしながら、現地の言葉で捲し立ててきた。 想像するに。 親父「部屋の鍵などない。お前の荷物は俺が保証する。何もなくなることなどないんだから、鍵など必要ないだろ!!」 こんなふうに言っているようだ。 仕方なく、荷物を持って食事に出ようとすると、何を勘違いしたのか、出ようとする俺の腕を引っ張って、何やら叫んでいる。 親父「何処へ行くんだ!荷物は心配するな。」 どうやら、俺がホテルをキャンセルして、ホテルを出て行くと勘違いして、俺を引き止めているらしい。 俺 「OK!OK!俺はちょっとレストランで、食事をしてくるだけだ。また戻ってくるから、心配するな!」 俺のジェスチャー入りの日本語が、どうやらこのおっさんに通じたらしい。 親父はホッとした表情を見せた。 * 道を挟んですぐ前のレストランに入る。 もう外は真っ暗だ。 店の中はもうすでに客でいっぱいで、客一人だけのテーブルを見つけ、相席をお願いした。 地元の人は、Tea一杯で、TVに見入っていたが、俺を見つけると、TV同様俺に興味を持ったのか、TVを見たり俺の方をチラチラ見ている。 マスターがやってきた。 マスター「もう食事は終った。オムレツぐらいなら出来るけど・・・どうするかね?」 俺 「何でもいいよ。」 今晩の食事のメニューは、”オムレツ”に”パン”、”ビール”。 オムレツと言っても、日本のオムレツとは違っていて、単に卵だけを焼いたもの。 卵焼きなのだ。 丸い鉄板の上で、グツグツと泡をたてているオムレツ。 空腹と言う奴は、何でも美味い料理に変身させてしまう。 そして、ビールの味は格別だ。 同席している青年は、トルコの学生だと言う。 青年「何処から来たのですか?」 俺 「俺?東京。」 青年「おお!東京、私知っています。行った事はないけど・・・。」 俺 「俺も学生で(嘘だが)、東京の大学へ通っている。」 青年「東京大学ですか。」 学生と言う奴、何処の国でも同じで、親切で愛想がいい。 俺が相席した事で、空になったTeaのお替りするはめになってしまったのに、ニコニコしている。 * 食事を済ませて部屋に戻ると、バスの中で一緒にだったドイツ人等三人が相部屋となっていた。 ドミトリーだ。 ベッドは三つしかない為、一人は地べたへソファを敷いて眠る事になった。 彼はすでに、家庭を持っていて、子供も3人いるとか。 国では、小さいながらも、モーターサイクルの店を持っていて、良く商談でトルコに来ると言う。 年はまだ若い。 イランへは、ビジネスで行っていたとかで、早く帰らないとワイフが怒るんですよと、言葉を選びながら英語で話し掛けてくる。 こういう英語がたどたどしい人とは、気持ちよく会話が弾む。 ドイツ青年「明日は、鉄道でイスタンブールへ行きます。」 俺 「俺も・・・。バスで行くつもりなんです。」 ドイツ青年「バスより遅いんですが、のんびり出来て良いですよ。何と言っても、バスより楽ですよ。」 今晩も、どうやらシュラフから、離れられそうも無い。 ドイツ人達は、服のまま毛布を被って眠りだした。 南京虫も居そうな感じがしてきた。 高地のせいか、かなり冷え込んできた。 この部屋(ホテル)で初めて、日本で言う布団らしいものに出会った。 シュラフのなかに入って、その布団らしきものを被って眠る事にした。 少々重たいが、この寒さを凌げそうだ。 こんな所で、日本の布団に出会うとは。 トルコは日本に似ているのかも知れない。 |